高橋たか子のエッセイ
こんばんは。
今日はずっと部屋で読書をしてました。新刊の村上春樹の短編集を読んでしまい、高橋たか子のエッセイも読み終わりました。
高橋たか子のエッセイは、[私の通った路]。フランス、パリで修道女として生活してた頃の事を書いた作品。結局、雑多な人間関係により、退会してしまうのだけど。修道女と言っても、やはり共同体だから、けっこうドロドロになってしまうんだな、って思いました。みんな神を信じてると言っても難しいんだなって思いました。
私は、自宅の近くのカトリック教会の所属で、この部屋からは行かないんだけど、自宅に帰った時はごミサに参列してます。この部屋の近くのカトリック教会のごミサには、 1回行ってこりました。ごミサが終わりお聖堂で祈ってるのに、すぐ隣りで、世間話しを始める信者達。仲良しクラブのサロンみたいになってる。うるさくて、祈れない。信じられない。お聖堂内は沈黙が当たり前なのに。日本ってそういう教会が多い。パリでごミサに参列した時は、ミサが終わってから祈ってても、とても静かだった。日本とは違ってた。日本のカトリック信者は、なんか違う。なんか馴染めない。
高橋たか子は、実に孤独・孤立に強い人だ。羨ましい。私が孤独・孤立に強くなれれば無敵なのにな。なかなかなれない。病気のせいもあるんだけど。
今日は、3くらい。軽い鬱。激鬱じゃないから読書が出来た。次は高橋たか子の別のエッセイを読み返すつもりです。高橋たか子作品は、小説もエッセイも揃ってるから、全部読み返します。私の書いた高橋たか子の卒論を読み返してたら、高橋たか子直筆の手紙の返事が出てきました。私が手紙を書いて、その返事です。生前、お会いしたこともあります。自宅の近くの教会の祈りの会で。とても静かな方だけど、大きな目の力がすごく強かったのが印象的でした。
私がカトリックの洗礼を受けたのも、高橋たか子の影響が大きい。私はごミサにも気の向いた時しか行かない不良信者なんだけど。祈る時と祈らない時もあるし。
この前、高さ86cmのマリア像を購入して、部屋に置いてるんで、なんか安心してる部分もある。大きなマリア像があるから何だか部屋が神聖になったみたいで。
そろそろ眠ろう。明日は訪問看護さんです。
それでは。