脳内選挙
こんにちは。Mさんの、たくさん祈れば、病気は神様が治して下さるから、這ってでも教会に来なさい、来たくないのは、悪魔が邪魔してるのよ、と言う意見。激鬱期なんだから、ひたすら横になって休養して安静にしましょう、と言うドクターと訪問看護さんの意見。訪問看護さんは、教会?!絶対にダメと言ってました。確かに教会へは行けません。行くとしてもタクシーです。お聖堂に入って祈っても、体力無いんで横になりたくなるでしょう。ですからMさんの執拗なお誘いには、応じていません。Mさんは、私に悪魔が取り憑いているから、教会を避けるんだと。いえいえ、単に激鬱なんで、外出したく無いのです。そんな元気も気力も無いです。
そこへ、主人からメールで、悪魔なんて想念の産物であって実在しない、と来ました。意思ある存在は全て想念、と。ここでインド哲学登場です。主人の好みはインド哲学。私もインド哲学の色んな本を読みました。ふむふむふむと。なるほどと。しかし悲しいかな、ずいぶん忘れています。ある程度まで探究すると、興味を無くしてしまいます。飽きます。
Mさんは悪魔の存在を強調。主人は悪魔は実在しない。ドクターは宗教や哲学と無縁にみえるけど、私を診察して休養しなさいと。
なーんかこんがらがってきました。心情的には主人に 1票。私は主人を尊敬し、盲信してるところがあるから。でも、カトリックキリスト者としてはMさんに 1票。激鬱の過ごし方としては、ドクターと訪問看護さんに 1票。
脳内選挙戦に。おそらく 1番良いのは、以前のカトリックフワフワ信者で居ることだと思う。私は何かを極めるのがすごく苦手。だからMさんみたいにものすごーく熱心なカトリックキリスト者にもなれないし、インド哲学で、わからないことを聞けば、スラスラ答える主人のようにもなれない。
中途半端なんですね。何かを極めようとすると、すごくしんどい。しんどいんです。生理的にしんどい。あと猜疑心が強くて、頑固なんで、なかなか信じられない。何も信じきれない。
オカルト教団に洗脳されてしまったトラウマも、もちろん有ります。あれはきつかったし、洗脳がとけた時は何もかも失ってた。主人も娘も。私だけ教団から追放。つまり自宅からも追放でした。だから、信じ切るのが怖い。
宗教や哲学だけにとどまらず、他人も信じられない。人が信じられない。まず疑う。それがいつのまにか癖になった。なのに、孤立・孤独は苦手。背反してるんです。
そろそろ 1 1時。トリンテリックス 10mgの時間だ。ワクワクワクワク。アモキサン2錠とワイパックス 1錠も飲む。
頭はこんがらがったまま。このまま流されていく。とにかく流される。なんと情けない。チっ。
それでは。