2泊3日
2泊3日で都心の自宅に帰っていました。主人も娘も清潔に住もうという意識があまり無いので、カバンを置いたらすぐに掃除機。トイレ掃除、洗面所掃除、洗い物。
それでも、お茶クラブに行きました。自宅の周りにはカフェが沢山あるので、選り取り見取り。カフェでは、メールしたり、日記を書いたり、本をずっと読んでいたり。
2日目、主人と別居した頃の話しをしていて、私はひどく泣きました。色んな想いが噴出して。主人を責めるような事も言いました。けれども主人は落ち着いていました。
今、受験勉強をしている試験に合格したら、1階の荷物でいっぱいの一部屋を整理して、私の部屋にしようと考えている事。そうしたら、一緒に住むのもやぶさかでは無い事。
いつになるかわからないけど、嬉しかったです。ただ主人に[昔のようには愛していない]と言われました。ずっと知っていた言葉。恐れていた言葉。
私は失恋したような気持ちになり、しかしこれまで失恋したことが無いので、混乱して、抜け殻になりました。でも主人の前で、たくさん泣いて、夜には立ち直っていました。
涙には浄化作用がある。
2日目もお茶クラブに行きました。主人と込み入った話しをしたあとだったので、読書にもあまり集中できず、窓からぼんやり教会を見てました。
私はいつかこの街に帰って来て住む日が来るのだろうか?何とも中途半端な気分でした。主人と娘とまた生活する日が来るのだろうか?
主人が試験に合格しなければ、私は永遠にただの客人。何とも淋しく空虚でした。私はただ昔のように仲良く3人で暮らしたいだけなのに。それは叶わぬ夢なのです。例えば3人で暮らしても[昔のように]は無理なのです。
失ったものの大きさに愕然としました。混乱しました。今もそのへんの経緯やそれに対する主人の対応など考えると、整然としません。モヤモヤした怒りもあります。
本当に都心の自宅に私の部屋が出来たなら、気持ちはスッキリするのでしょうか?昔のようじゃ無い生活に、かえって悲しみを蓄積していくことになるのではないでしょうか?
今日、自宅の気に入っている椅子を一脚持って、タクシーで部屋に帰って来ました。お休みのAさんが待っていました。2人で買い物したり、外食したりしました。
何の変哲もない日常。やはり自宅に居るより、部屋に居た方が落ち着くのかな?
いいえ、いいえ、そんなことない。この部屋は私の居場所ではない。なら自宅が居場所なの?昔はそうだった。でも今は冷え冷えとした主人と住むのは、辛過ぎる。居場所じゃない。
居場所が無い。
自宅でも部屋でも落ち着かない。早く65歳になって老人ホームに入ってしまいたい。あと9年。そこが私の終の住処になり、居場所になる気がする。
それでは。